一般県道・最上小野田線を走破。【中編】

 山形県道・宮城県道262号最上小野田線を走破する企画の続き。【前編】はこちら

 最上小国川流水型ダムを後にして、さらに東進。すぐに「大型車通行止め」の看板。このあたりから、道幅が狭くなる。砂利道になる場所もあるが、ここからしばらくの区間、大半は簡易的な舗装だったり、コンクリート舗装だったりと、何らかの舗装がなされている。

「最上総合支庁」の電話番号が22-1111ってすごいな。
コンクリート舗装。
たまに砂利道になることも。
簡易舗装的な区間も。
小さな橋の前にあった謎の標識。まあ重量制限なんだろうけど。
「通行止め」と「重量制限」の標識を組み合わせたデザイン?
山形県お得意の木製デリニエーター。誇らしげな「山形県」という表記は県道の証。
もはや現在地が分かっていないが、集落的なところを通る。右側には電線も見える。

 そしてT字路にぶちあたった。この県道、山形県内では分かれ道にていねいに看板がつけられていて、迷わないようになっている。

こういうT字路。看板がないと迷うよね。
「山形県」が直々に、文字で教えてくれる。
宮城県側から来た人は、この看板を見ることになる。

 そして、また看板付きT字路。そしてここにも「いつでも通行止めにできますよ!」的な感じのゲートがあった。このあたりからは、本格的に砂利道になる。

またT字路。
ここでも県道を閉鎖できる。
本格的な砂利道に。
ここにも看板が。しかし、看板なくてもここは右折するだろ・・・ 直進して藪に入っていく人はいないと思うのだが・・・
右折してすぐのところにかわいらしい橋が。

 ちょっと古めかしい橋だったので、いつできた橋なのか表示をちゃんと見てみよう。

赤い欄干の可愛い橋。橋の名前の写真を撮り忘れた。
なんと丁寧なことに、着工日と完成日をどちらも表記してある。写真があまり鮮明でなくて申し訳ないが、どちらも「昭和四十八年」と読める。つまり1973年ということになる。
そしてなんと丁寧なことに「施行主体 山形県」という表示板まであった。

 この道路の歴史についてはあまり下調べせずに行ったのだが、1973年にはこの橋ができていて、そしてその時から既にこの道路が県の管理であったことが分かった。まあ、県道でなく、県が建設した林道だった可能性も十分にあるけども・・・

 そんなこんなで、もう少し進むと、県境へたどりついた。

砂利道をずんずん進む。
お、いよいよか。
振り返って看板を撮影。「山形県」による注意看板。
県境にもゲートがあり、ここでも封鎖できるようになっている。看板がいっぱい。ヘキサとかをつけるのでなく、文字で「一般県道最上小野田線 至 最上町・新庄市」というのがおもしろい。
例の最上小国川流水型ダムの看板。内容が微妙に違うけど、なぜ2枚必要?

 地図によると、この峠は「田代峠」というそうだ。まあ昔からの峠とはちょっと位置がずれているそうだが。峠はちょっとした広場になっている。

ここは国有林なのかー。
峠の広場から山形県側を見ると「鳥獣保護区 山形県」の標柱があった。
そして宮城県側には「鳥獣保護区 宮城県」の看板が。
広場には、事故の慰霊碑もあった。航空自衛隊の一等空尉が昭和43年にここで亡くなったようだ。

 というわけで、宮城県に入ったところで、中編はおしまい。

 実は、ここまでの区間は正真正銘の県道だったが、(ネット上で事前に調べた情報によれば)ここからの宮城県区間は、しばらくの間県道ではなく林道であるらしい。地理院地図でも無色の道路になっている。

 ということで、後編は県道の未供用区間をつないでいる林道(らしき道路)からスタートする。

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